顕微鏡の中

小さく活動しております。好きなことを好きなように書く!…つもり 詳しいプロフィール→http://profile.hatena.ne.jp/katabamikuro/profile

はてなハイクが終わった

終わってしまったな、私の青春(の一部分)

4年前ツイッターに移行するまでお世話になったはてなハイクが終わってしまった。0時になるまでの1時間はみんなのエントリー(いわゆる連合タイムライン)を静観してましたね。

あと投稿履歴をDLしたと思ったら我が家のエクセルではものすっごい文字化けしたのでわざわざ過去の黒歴史をいちいちスクショで保存したり。それってどうなの?


もうすっかり覗かなくなってしまったハイクだけど、やっぱり終わるとなると寂しくて、ここ数日はちらほら覗いたりしてました。こう言う人間(全然触れてなかったくせに終わるとなるとやってくる奴)がコンテンツを廃らせるんですよ…と思いつつ。

やっぱり、ハイクにしかない空気感ってあるよなあと改めて感じました。

なんだろうなあ、連合TLなのに1番賑わってる時間でもほどほどに投稿が追える人の少なさ(失礼)とか、大喜利系キーワードの独特なノリとか。全く知らない人なのに気づけば(自分の中で)顔見知り気分になってるハイカーさんとか…なんだか他のSNSより温かくて、みんなのエントリーを覗いてるだけでその輪に入れてもらえたような空気感が好きでした。

なにせハイクに触れていたのが1番多感な時期でして…故に黒歴史も多く残したわけですが、寂しいときどんな深夜に覗いても必ず1人や2人みんなのエントリーにはいる感じに救われたとこも多かったと思います。「今起きてハイクをしている誰かがいる」感が他のSNSより強いんだよなあ。

そうそう、昔、深夜に寂しくなるとよくベランダに出てたんですが、そういう時のお供もはてなハイクだった気がする。唐突に思い出した。

でもそんな感じなんですよ。深夜にベランダから外を眺めた時、周りの家がみんな寝静まってる中で一部屋だけ明かりの灯ったままの部屋があったり、あるいは今まさに明かりの灯った部屋があったりすると「まだ起きてる人いるんだ」「あの人今から仕事なのかな?」って知らない誰かの気配を感じて。寂しいときってそういう事にも安心してしまう。向こうは何も励まそうとしてる訳じゃないのに、勝手に元気付けられてしまう。そんな感じなんですよ。


ハイクはまさにミニブログという名の通り、知らない誰かのありふれた日常をぼんやり眺められたのが好きです。

ツイッターが都会の喧騒の中にいる感じならハイクはシェアハウスか集合住宅かな…?隣の部屋や向かいのアパートにいる「誰か」の事を確かに感じられるSNSでした。

すっかりツイッターに移行してしまったとこからもわかるように私はあの賑やかな感じも好きなんですが、久々に戻ってくるとやっぱりハイクは安心した。

改めて考えるとハイクはおはようとか、ひとりごととか、天気の実況とか落ちた手袋が左右どっちが多いかとか。本当にどうでもいい情報ばかりで……ハイクには公式アカウントとか無いし有益な情報とかもほとんどないのに、どうでもいいが故に面白かったんだな。ハイク的おはようとかあった…天気実況とかはちらほら参加したりしてましたよ。

綾鷹を千本選びなおしたり、四文字でしりとりしたり。大喜利から日記のような内容まで色んな物や人で溢れかえるその雰囲気も懐かしくて。そう言ったものがまた一つ消えてしまった寂しさ。

きっと、過去に慣れ親しんだものが消えてしまう出来事は今後何度も経験するだろうけど、終わってから懐かしんだって仕方ないんだな。最後数時間でも参加できてよかった。

改めて投稿を見返すと本当に黒歴史ばかりで卒倒したわけですが、それでもおはようやひとりごとにスターをつけてもらった事、話しかけてくれた人がいた事、何より親しくしてくださった方々に感謝してもしきれません。嬉しかった。

正直なところ、黒歴史がサイトごと消え去ってくれた安堵や、帰る場所を失ったような喪失感や、色んな感情が渦巻いているけれど、全て合わせてなんだか清々しいような気もします。

でも、何より忘れてしまうことが怖いので。こんな場所もあったという事は覚えていたいな。

ありがとうハイク。ログ振り返ったら最初の投稿は6年前だったけど、昔の投稿は消したから本当はもっとお世話になったはず。1番最初に触れたつぶやき型SNSがハイクでよかった。ハイクがあったから今の私がいます。

ありがとう。













って0時ちょうどに終わる訳じゃないんかーーーい!!!!!!!!l

(17時に終わりました)(17時までの1時間も静観してたよ)